ミシンもラジオもない静かな工房に、ある日、若い職人が現れた。 
モロッコ、旧市街の片隅で3人の想いが愛を紡ぐ、希望の物語

モロッコ、海沿いの町、サレ。旧市街(メディナ)の路地裏で、ミナ（ルブナ・アザバル）とハリム（サーレフ・バクリ）の夫婦は小さな仕立て屋を営んでいる。家業を継いだハリムは女性を美しく包むカフタン作りの伝統を守り続けてきた。生地とデザインに合わせてより紐を手作りし、複雑なコード刺繍もすべて手縫いで行う。ミシンは使わない。ともすれば時代遅れとされる手仕事へのこだわりは、芸術的で繊細なカフタンを誕生させてきた。夫の技術と人柄に惚れ込むミナは、完璧を求めるあまり作業が遅れがちなハリムを急かしつつ、完成を心待ちにする女性たちとのやりとりを楽しんでいた。 
ある日、2人はユーセフ（アイユーブ・ミシウィ）と名乗る若い男を助手として雇い入れる。より紐作りも刺繍も慣れた手つきでこなし、古い手刺繍を愛でる審美眼もある。ハリムは彼の才能を見抜き、ぺトロールブルーのサテンを使う豪奢なカフタン制作に参加させることにした。生地に合わせた糸の選び方や裁断のコツ、生地に負担をかけない刺繍針の刺し方など、完璧な美を裏打ちする技術を熱心に教える。ハリムの温かなまなざしを受けとめるユーセフに、冷たい視線を送るミナがいた。 
ミナには時間がなかった。25年連れ添ったハリムと楽しい思い出を残そうと、これまで我慢していたことに挑戦してゆく。ハリムと一緒に街角のカフェでミントティーを飲み、煙草を燻らせてみる。夫の技術に敬意を払わない客には毅然と対応する。なにもない日に手間暇のかかるごちそうを作ってハリムを驚かせる。そして、繊細な指先で髪を洗ってもらう。ハリムに甘えることでミナは日々強まる痛みに耐え、何気ない時間を2人で過ごす幸せを噛みしめていた。 
ハリムにとってミナは最大の理解者であり、自分を守ってくれる母のような存在だ。内向的なハリムが仕立屋としてやってこれたのも、ミナがいてこそ。大切なパートナーを失う不安を振り払うように、ハリムはぺトロールブルーのカフタン作りに没頭する。しかし、そばで見守るユーセフは気づいていた。ハリムがひた隠す葛藤の理由に……。 　
最期の時を迎え、ミナはハリムに「愛することを恐れないで」と伝える。幸せを願う一言は、長年苦しめてきた呪縛からハリムを解き放った。どんな時も愛で包んでくれたミナ。彼女のささやかな願いを叶えるため、ハリムは完成したばかりのぺトロールブルーのカフタンを手にした。

2022年／フランス、モロッコ、ベルギー、デンマーク／122分
監督・脚本：マリヤム・トゥザニ
出演：ルブナ・アザバル、サーレフ・バクリ、アイユーブ・ミシウィ